20世紀は戦争の世紀とも言われる。 今、平和を謳歌する日本もかつて、日露戦争に始まり、第一次世界大戦、第二次世界大戦と多くの戦争を体験してきた。良い戦争などというものはあり得ない。 大義名分を付けても、ただの人殺しに過ぎない。この平和を守るためにも、日本がかかわった戦争で、多くの人が殺し、殺されたことを忘れてはならない。 あの痛ましい戦争から55年が過ぎ、まもなく21世紀を迎えようとする東京都内にもまだ戦争の痕跡をとどめる遺跡がある。八王子市にある浅川地下壕(下 段・中)は、高尾山一帯に掘られた巨大な地下トンネルで、その全長は10キロにも及ぶ。太平洋戦争末期には、実際に中島飛行機武蔵製作所の地下工場として 使用された。 東大和市には、無数の弾痕を刻む変電所(上段・左)が公園内に残る。米軍の空襲で被弾した軍需工場の一部だが、地元の主婦を中心にした市民運動で、奇跡的にも保存された。府中市にも、本土決戦用に作られた戦闘機の掩体壕(下段・左)が畑の中に残る。 8月15日の終戦記念日には、靖国神社に亡霊たち(上段・右)が闊歩する。近くの北の丸公園には、皇居を守る高射砲の台座(上段・中)がベンチとして利用されていた。 1989年、早稲田大学文学部の裏手にある国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の新築工事現場から、100体を越える人骨が発見された。ここは かつて七三一部隊で悪名を馳せた防疫研究所があった所だ。人骨には鋸断や銃創、穿孔など明らかに人の手が加わった痕跡があり、何らかの形で戦争に関係した ものであることが判明している。 戦争を知らない世代だからこそ、後世に受け継がなければならない。私も長崎の被爆2世として戦争の悲惨さを語り続けよう。
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