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「原爆犠牲者慰霊碑」東京都葛飾区
1967年に東友会により品川区の東海寺に建立された原爆慰霊碑は、2012年には葛飾区の青戸平和公園へ移転した。(写真左)それまで開催されてきた原爆犠牲者慰霊祭も追悼の集いとして誰もが自由に参加できる開かれた式典となった。慰霊碑には「われら生命もて ここに証す 原爆許すまじ」という被爆者の声が刻まれている。 また同公園には非核平和を願う祈念塔(写真右)もあり、塔の前には被爆した広島の御幸橋の縁石と長崎の瓦も置かれ、献架台には折り鶴が絶えることがない。
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「広島・長崎の火」東京都台東区
上野恩賜公園内の上野東照宮境内に福岡県八女市(星野村)の原爆の火と、長崎の原爆瓦から採火した長崎の火を合わせた火が1990年より灯されている。
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「明日の神話」東京都渋谷区
1日の乗降客が200万人を超える渋谷駅の連絡通路には、岡本太郎氏がアメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸をテーマに作成した横30メートル、高さ5.5メートルの巨大壁画が2008年から一般公開されている。
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「平和祈念像」東京都武蔵野市
井の頭恩賜公園にある彫刻園には、長崎の平和公園に建立された平和祈念像の原型(高さ9.7m)が設置されている。その隣の北村西望のアトリエ館には平和祈念像の制作過程も合わせて展示されている。ちなみに北村西望は長崎県南有馬村の出身で、平和祈念像の制作のためにここへアトリエを構えた。アトリエの周りには北村西望の作品が多数、展示されている。
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「平和祈念像」東京都北区
北村西望が武蔵野市へアトリエを移すまで住んでいた北区にも高さ2.41mの縮小版(原型の1/4サイズ)平和祈念像が1990年、複合文化施設「北とぴあ」に建立された。京浜東北線から一瞬だが後ろ姿が拝める。 台座には「日本国憲法に掲げられた恒久平和の理念に基づき、平和で自由な共同社会の実現に向けて努力しています。人間のぬくもりを感じるふるさと、美しい自然をこれから生れ育つこども達に伝えることは、私たちに課せられた大きな責務であります。私たちは、わが国が非核三原則を堅持することを求めるとともに、心から世界の恒久平和と永遠の繁栄を願いつつ、ここに北区が平和都市であることを宣言します」とあった。
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「平和の像」東京都三鷹市
北村西望は生前、三鷹市とも関わりが深く、三鷹100周年記念事業の一環として1989年に1/4の縮小版が仙川公園に建立された。「この像には、幼い子供達から、お年寄りまで、市民一人ひとりの平和へのおもいが託されています」と案内板には記されている。
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「平和祈念像」東京都板橋区
長崎の平和祈念像の試作として北村西望は立像も手掛けていたようで、原爆の脅威を表す垂直に挙げた右手と、平和を表す水平に伸びた左手は長崎と祈念像と同じポーズ。板橋区役所正面玄関前に1987年建立。これが北村西望最後の作品となった。
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「平和の灯」東京都板橋区
板橋区役所1階ロビーには被爆瓦などの展示とともに、広島の「平和の灯」と長崎の「誓いの火」から採火した平和の灯が1992年より燃え続けている。
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「板橋区平和公園」東京都板橋区
公園内には板橋区役所と同じく広島と長崎から採火された平和の灯が1992年から灯され、その全面にある池は「へいわ」の字を象ったもので、長崎の平和公園内の平和の泉の水が注がれている。
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「平和の泉と平和祈念像」東京都新宿区
全国有数の繁華街、歌舞伎町近くにある新宿区役所の正面玄関には、長崎の平和の泉の源流から採取された水を注いだ平和の泉と、北村西望氏の長男・治禧氏の制作による平和祈念像が1989年に設置されている。
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「平和の灯」東京都新宿区
同じく新宿区役所正面玄関の横には、広島の「平和の灯」と長崎の「誓いの火」を合わせた平和の灯が1988年から灯され続けている。
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「平和の灯」東京都港区
東京タワーが望める芝増上寺の隣にある芝公園内には広島の「平和の灯」と長崎の「誓いの火」、それに福岡県八女市(星野村)の「平和の塔」の火を合わせた平和の灯が2005年から灯されている。
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「誓いの灯と平和の誓い像」東京都品川区
JRや東急が乗り入れる大井町駅の中央口前には1990年に広島の「平和の灯」と長崎の「誓いの火」を合わせて点火した「誓いの灯」と、その隣に非核平和都市宣言を記念して建立された平和の誓い像がある。
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「被爆子育て地蔵」東京都目黒区
広島の爆心地からわずか100mの西蓮寺で被爆しながら奇跡的にお顔だけが残った子育て地蔵尊。1950年頃から目黒区の常円寺に祀られている。
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「さくら隊原爆殉難碑」東京都目黒区
移動演劇隊のさくら隊が巡業中の広島で被爆、亡くなった座長の丸山定夫さんや園井恵子さんら俳優9人の名が刻まれている。その中の一人、仲みどりさんは原子爆弾症第一号に認定された。殉難碑は徳川無声さんらにより1952年、五百羅漢寺に建立された。
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「平和記念碑」東京都中野区
広島市より譲り受けた被爆庁舎の敷石を使って「憲法擁護・非核都市宣言」が記された平和記念碑は、1986年に平和の森公園に設置された。
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「平和の灯」東京都世田谷区
平和都市宣言5周年を記念して、1990年に広島の「平和の灯」と長崎の「誓いの火」を合わせた平和の灯が世田谷公園に灯された。前縁的なデザインは彫刻家向井良吉氏によるもの。
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「第五福竜丸」東京都江東区
1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で被爆したマグロ漁船の第五福竜丸は数奇な運命をたどり、1976年より東京都が運営する第五福竜丸展示館で核兵器廃絶を訴える。
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「死の灰」東京都江東区
第五福竜丸展示館には、実際に第五福竜丸が浴びた死の灰が展示されている。ビキニ環礁では第五福竜丸以外にも約850隻を超える日本の漁船が被爆したとされる。
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「久保山愛吉記念碑」東京都江東区
1954年3月1日に第五福竜丸で被爆した無線長の久保山愛吉さんは、半年間の闘病の末に同年9月23日に亡くなった。享年40歳。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」という久保山さんの遺言が記念碑に刻まれている。
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「平和の灯」東京都国分寺市
広島の平和の灯から分火された平和の灯が、1990年国分寺市役所にも灯され、その下には長崎の被爆瓦が展示されている。
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「被爆石モニュメント」東京都東村山市
中央の柱は長崎の山里小学校の被爆旧校舎の一部(爆心地から600m)、2枚の敷石は広島市役所旧庁舎前の被爆敷石(爆心地から約1km)。1989年、中央図書館前に設置して核兵器廃絶平和都市のシンボルとした。
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「パンプキン爆弾」(任務番号No.1)東京都中央区
原爆投下にそなえた爆撃機の乗員訓練とデータ収集のため、1945年7月20日、クロード・イーザリー少佐を機長とするB-29(301号機)が皇居を目標にパンプキン爆弾(模擬原爆)を投下、東京駅八重洲口の外堀(写真がその場所)に着弾して死者1人、負傷者62人の被害があった。
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「パンプキン爆弾」(任務番号No.11)東京都西東京市
1945年7月29日、武蔵野市にあった中島飛行機武蔵製作所を狙って7297号機が投下したパンプキン爆弾(模擬原爆)は目標を大きくそれて西東京市(旧・保谷市)柳沢地区に着弾、死者3人、負傷者9人の被害があった。
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