2014年3月末現在で、被爆者健康手帳の所持者は全国で19万2719人、平均年齢は80歳となり、被爆者が原爆を語れるのも残すところわずか数年となった。過ちをふたたび繰り返さないために、あのとき何が起こったのかをしっかりと記憶しなければならない。なぜなら、歴史は記憶する努力をしなければ簡単に忘れ去られてしまうから。さらには戦争には必ず加害と被害の両面がある。その両方を同時に記憶しなければその意味が無い。 原爆慰霊碑や被爆関連のモニュメントの存在も記憶継承の一助になるとの思いから、全国を訪ね歩くことにした。さらにその形状と塗装からパンプキン爆弾と呼ばれた模擬原爆が、東京をはじめ茨城、福島、新潟、富山、岐阜、静岡、福井、山口、愛知、愛媛、京都、大阪など30都市に50発も落とされたことはあまり知られていない。原爆を投下した際にその爆発から爆撃機の乗員を守るための投下訓練だったとされるが、模擬原爆といっても長崎に落とされた原爆=ファットマンと同じ大きさ(直径1.52m、長さ3.25m)で1万ポンド(約4.5トン)の高性能火薬が装填された大型爆弾だったため、死傷者は全国で1600人を超える。8月6日の広島、9日の長崎への原爆投下以降も終戦前日の14日までこの模擬原爆の投下は続けられた。 自分が実際に現場を訪れて撮影した場所を載せているためまだまだ数は少ないですが、今後、写真は少しずつでも増やしていく予定なので、特に被爆地以外の地元での情報もお寄せください。
|